どうも、ゴマ(@gomago50gomago)です。
今回は道尾秀介さんの『いけない』の各章最後の写真の内容について、自分なりの考察をお話します。
※『いけないⅡ』の内容の重大なネタバレを含みます。ご注意ください。
ネタバレなしの書評記事も上げています。
前作『いけない』のネタバレ考察記事も上げています。
『いけないⅡ』の内容についておさらい
この記事を読んでいる人はすでに『いけないⅡ』を読了しているという人がほとんどだと思いますが、まずは簡単に『いけないⅡ』がどんな本なのかを簡単におさらいしておきましょう。
まず文藝春秋のHPに以下のように『いけないⅡ』のあらすじが載っています。
大きな話題を読んだ”体験型ミステリー”第2弾。
第一章「明神の滝に祈ってはいけない」
桃花はひとり明神の滝に向かっていた。一年前に忽然と姿を消した姉・緋里花のSNS裏アカウントを、昨晩見つけたためだ。失踪する直前の投稿を見た桃花には、あの日、大切にしていた「てりべあ先生」を連れて姉が明神の滝に願い事をしに行ったとしか思えない。手がかりを求めて向かった観瀑台で桃花が出合ったのは、滝(、)の(、)伝説(、、)を知る人物だった。第二章「首なし男を助けてはいけない」
夏祭りの日、少年は二人の仲間を連れて大好きな伯父さんを訪ねる。今夜、親たちに内緒で行う肝試し、その言い出しっぺであるタニユウに「どっきり」を仕掛けるため、伯父さんに協力してもらうのだ。伯父さんは三十年近くも自室にひきこもって、奇妙な「首吊り人形」を作っている。その人形を借りて、タニユウの作り話に出てきたバケモノを出現させようというのだ。第三章「その映像を調べてはいけない」
「昨夜……息子を殺しまして」。年老いた容疑者の自白によれば、息子の暴力に耐えかねて相手を刺し殺し、遺体を橋の上から川に流したという。だが、その遺体がどこにも見つからない。必死で捜索をつづける隈島刑事は、やがてある「決定的な映像」へとたどり着く。彼は先輩刑事とともに映像を分析しはじめ——しかし、それが刑事たちの運命を大きく変えていく。そして、書き下ろしの終章「????????はいけない」
文藝春秋BOOKSより
――すべての謎がつながっていく。前作を凌ぐ、驚愕のラストが待つ!
各話の最終ページにしかけられたトリックも、いよいよ鮮やかです。
今作もまた最後のページにトリックが仕掛けられています。
『いけないⅡ』はあらすじにもあるように4章構成になっており、
- 第1章 明神の滝に祈ってはいけない
- 第2章 首なし男を助けてはいけない
- 第3章 その映像を調べてはいけない
- 終 章 祈りの声を繋いではいけない
という4つの章に分かれます。
終章はあらすじでは「?」で表現されていますが、今回はネタバレ記事なので本の中で明かされているタイトルを使って話していきます。
『いけないⅡ』は『いけない』のコンセプトを踏襲していますが、『いけない』からの続きではありません。
『いけない』とは違った街を舞台に物語が進みます。
4つの章はいずれも主人公は異なりますが、同じ街が舞台です。
前作以上に、前の章の内容に触れていることが多かったですね。
前作の『いけない』では冒頭に「本書のご使用方法」が載っていましたが、今作にはありません。
しかしながらコンセプトは同じなので、注目すべきところは同じです。
前作の「本書のご使用方法」は以下のように書かれていました。
・まずは各章の物語をじっくりとお楽しみください。
・各章の最終ページには、ある写真が挿入されています。
・写真を見ることで、それぞれの“隠された真相”を発見していただければ幸いです。
最終ページの写真が重要な意味を持っていますし、この最終ページの謎が難しいんです。
今回の謎はまた一段と難しかったですね…。
いろいろ考えて自分なりの結論を出したので、ここからは私の考察をお話しします。
私も他の人がどのように考えたのか知りたいので、ぜひ皆さんの考察もお聞かせください。
第1章 明神の滝に祈ってはいけない
第1章の最終ページにはどこかの建物の入り口の写真が載っています。
雪だるまと干支だるまが写っていることからも大槻の管理する避難小屋の入り口だと分かります。
ここでポイントとなるのが干支だるま。写真に写っている干支だるまは牛の姿をしています。
物語の中では「雪でつくられたネズミ」などと表現されているのでこれはおかしいです。
一体この矛盾はどこから生まれたのでしょうか…。
第1章は桃花の視点と大槻の視点でそれぞれ描かれていますが、それぞれの時間軸が違うのだと思われます。
桃花の話と大槻の話が並行しているように描かれていますが、桃花の話の1年後の話が大槻の話です。
干支だるまのことをネズミと言っているシーンは3回ありますが、いずれも桃花の視点の時でした。
(ちなみに、大槻の視点の時は「尻尾がちょろっと丸まっている様子」などネズミだとは明言されていません。)
すなわち、大槻が殺したのは姉の緋里花ではなく妹の桃花だったということです。
また(二)では大槻の回想として、
―――ここで、何をしているの?
―――祈ってるんです。
―――何を祈ってるの?
と書かれていますが、これは(七)で大槻が桃花に声をかけたシーンのセリフと一致しています。
ヒントであろう箇所はたくさんあったので、第1章の答えは比較的想像しやすかったのではないでしょうか。
第2章 首なし男を助けてはいけない
第2章の最終ページには伯父さんの部屋の写真が載っています。
伯父さんの部屋には首吊り男の人形が吊るされていますが、写真で首を吊っているのは人形ではなく伯父さんなのでしょう。
ではなぜ伯父さんは首を吊ってしまったのか。
それはおそらく、真に自分の犯した罪を知られそれを咎められたと思ったから。
伯父さんがタニユウを轢いてしまったと思った真は伯父さんに次のように質問をしています。
「川を流れていったの……人間だったの?」
「もしかして……殺しちゃったの?」
伯父さんはこの質問をp、過去に自分の父親(真の祖父)の腕を振り払って殺してしまったことについて咎められているのだと思ったのでしょう。
真に真実を知られ、それを問い詰められるような形になり自殺を選んだのだと思われます。
第3章 その映像を調べてはいけない
第3章の最終ページには益子町コスモス祭りの映像が載っています。
「1997/10/10 3:24:06PM」という表示から24年前に千木ファミリーが益子の陶器市に行ったときの映像でしょう。
この映像には大量のコスモスが写っていますが、これは孝史の好きだった花がコスモスであることを暗示しているのだと思われます。
そしてラストシーンでは
祈ることも願うこともなく、息子はここで眠りつづける。
大好きだった花の下で。
一輪きりの花の下で。
とあるので、孝史の死体は一輪のコスモスの下に隠されていることが予想できます。
ではコスモスは一体どこで出てきたのでしょうか…?
実は千木家の居間にコスモスは飾られており、割と序盤にその旨が以下のように書かれています。
その座卓には一輪挿しが飾られ、ちょうどいま盛りの秋桜が一花、家で起きた出来事とは無関係に咲いていた。
つまり、孝史の死体は座卓の下、居間の床下に隠されているのです。
終 章 祈りの声を繋いではいけない
終章の最終ページには床頭台に置かれたスマホの写真が載っています。
そしてそのスマホには「桃花」からの着信が…。
し、死者からの電話ゴマか…?
これは死者からの電話ではなく、桃花の両親である小澤夫妻からの連絡でしょう。
2人は桃花が死んだあと、桃花の番号を引き継いで新しい携帯電話を購入していますし、緋里花の携帯電話に定期的に連絡をしていることも話しています。
しかも、ラストシーンは緋里花の20歳の誕生日。小澤夫妻が連絡していてもおかしくありません。
そしてこの連絡がつながったことによって、緋里花の事件、千木孝史の事件の真実が明るみに出るのでしょう。
個人的には「祈りの声を繋いではいけない」というタイトルと内容の関連性がピンと来ていないので、そのあたりの皆様の考察を教えていただきたいですね。
終わりに
ということで、今回は道尾秀介さんの『いけないⅡ』をネタバレありで解説しました。
私なりの考察を書いてみましたが、皆様の考えはいかがでしょうか。
もし私とは違う考察をしたという方が居ましたら、ぜひコメントをいただけると幸いです。
本日はここまで。
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